2011(平成23)年3月11日(金)午後2時46分に発生した大地震では本校も被災しましたが、幸い在籍生徒と職員は全員無事でした。
当日は高校入試の成績処理のため授業はなく、学校にいた生徒は部活動のため登校していた数十名だけでした。停電によるJR運行停止のため、遠方から通学している生徒は保護者に迎えに来ていただく必要がありましたが、午後6時過ぎには生徒全員が下校できました。
完成後1年を経過したばかりの新校舎にはヒビが入り、備品も多く破損しました。破損箇所の補修には時間がかかりましたが、白石高校は内陸部にあるため幸い大津波を受けることはなく、4月21日に新学期を始めることができました。
ここに掲載する写真は、地震発生直後の本校の様子を撮影したものです。震災直後は生々しく、また忌まわしい記憶を呼び起こす恐れもあるため非公開としてきましたが、震災から満4年を経過し、記録・記憶の重要性が指摘される中で、公開することにし ました。
被災した皆様には、改めて心からお見舞いを申し上げます。
14:57撮影。 揺れが収まると「校舎外へ避難せよ」のかけ声がかかり、生徒・職員は正門前やグランドに集まりました。手前の赤いジャージの女生徒たちは抱き合っています。 |
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15:06撮影。 グランドに集まってきた生徒・職員たちの様子です。しゃがみ込んで泣き出す女子生徒もいました。 |
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15:34撮影。 正門に近い「銀杏ホール」に災害本部が設置されたので、グランドに集まっていた生徒・職員が全員正門方向に移動しました。小雪が 降っていました。 |
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15:49撮影。 銀杏ホール前にテントを設置しました。でも風が強く、ときどきテントが吹き飛ばされそうになっていました。 |
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16:17撮影。 普通科棟と看護科棟の渡り廊下から正門付近を見下ろしたところ。まだ薄日が差しています。アリーナ前のテラスにも人影が見えます。 |
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16:27撮影。 銀杏ホール内で保護者の迎えを待つ生徒たち。 |
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16:49撮影。 一時は天候が変わり、風・雪ともに強くなりました。 |
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17:19撮影。 学校長(千田芳文先生)から、今後の職員の勤務態勢について説明がありました。担当の生徒を帰宅させた後は帰宅してよい旨の許可も出されました。 でも国道4号線は上下方向とも大渋滞で、この後すぐ車で帰宅の途についた場合でも、仙台在住の職員が帰宅できたのは午後10時ごろでした。 |
【 職員室(2階)】 | |
14:55撮影。 地震発生直後の最初の写真です。少しぶれていて見づらい点はお許し下さい。画面右が教頭席です。画面左端のキャビネットの上にあった大型のレーザープリンターが床に落ちているのが分かります。 |
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14:55撮影。 教員の机も前後左右に大きく揺れて、机上の書類の多くが床に落ちて散乱しました。画面左側に並んでいる机はきちんと並んでいたのですが、前後に15センチほどずれているのが分かりますか? |
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16:09撮影。 画面中央に横倒しになっているのは、机の脇に立っていた大型の空気清浄機です。 |
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【 校舎の外周 】 | |
14:59撮影。 生徒昇降口(画面手前)付近に生じた段差。画面奥が保健室です。校舎周辺には 、このような段差があちこちに生じていました(幸い液状化現象はありませんでした)。 |
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15:07撮影。 中講義室と図書室の外側にあるベンチ。すべて中央の接着面が引き離されていました。 |
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15:10撮影。 看護科棟の外側です。校舎外壁と路面との接続面が波打っている(路面が陥没している)のが確認できます。 |
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15:12撮影。 看護科棟2階の外壁です。窓枠付近のコンクリート壁が崩落しそうになっていました。 |
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【 校舎内 】 | |
15:08撮影。 図書室(1階)です。上の段の本はほとんど落ちて散乱しています。 |
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15:18撮影。 パソコン室(1階)です。デスクトップ型パソコンの本体が倒れ、ディスプレイが机の左側に落ちています(またはケーブルで宙づり状態になっています)。 |
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15:18撮影。 会議室(1階)です。手前に並んでいた長机はすべて倒れています。 |
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15:29撮影。 一般教室(2階)です。教卓が倒れていた程度で、教室には大きな変化はありませんでした。 |
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16:10撮影。 調理室前(2階)です。大きな引き戸が2枚とも外れて倒れていました。はめこんでいるのはアクリル板なのでガラスのように割れてはいませんでした。 このように引き戸が外れて倒れている箇所は他にも沢山ありました。 画面奥廊下の右側でたくさん倒れているのは美術で使用するキャンバスの三脚です。 |
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16:12撮影。 理科室(4階の生物教室)です。窓際の水槽の1つが落ちて割れ、水が床一面に広がっていました。 |
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16:14撮影。 理科準備室(4階)です。大きなキャビネットが上下とも倒れていました。 |
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16:16撮影。 校舎のつなぎ目(普通科棟と看護科棟の接続部)も損傷していました。双方の校舎が大きく揺れた証拠ですね。
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16:17撮影。 大講義室(3階)です。大きな教壇がひっくり返っていました。 |
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16:19撮影。 看護科の図書室(2階)です。ほとんどの本が書棚から落ちていました。 このことからも東西方向に激しい揺れがあったことが分かります。 |
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16:19撮影。 専攻科の教室前廊下です。生徒用ロッカーの扉が開き、中の教科書類が散乱していました。 |
翌日から学校は臨時休校になり、高校入試の合格発表・入学関係書類の配付、予備登校は すべて延期となりました。【写真:延期を知らせる貼り紙】
震災当日からしばらくの間、防犯のため有志の職員が学校で寝泊まりしました。近所に居住している職員は自転車で出勤しました。遠方の職員はガソリンを入手できた場合は 自家用車で出勤できましたが、JRや新幹線で通勤している職員はしばらく自宅待機となりました。
3月下旬にやっと職員が揃うようになり、4月21日に新任式・始業式・入学式を行いました。
- 3月23日(水)午後3時 新入生の合格発表 (同時に本校ウェブサイトにも合格者の受験番号を掲示)
- 3月30日(水)在校生の修了式と離任式 (離任する先生方の発表は新聞報道がなかったためウェブサイトで発表)
- 4月 8日(金)新入生の予備登校 (前夜に大きな余震があったため開始時刻を30分遅らせて開始)
- 4月21日(木)新任式・始業式・入学式
- また、この年の白角定期戦は中止となりました。
学校が臨時休校になっている間に、地域のボランティア活動に参加した生徒もいました。
なかでも、当時の生徒会長だった男子生徒が呼びかけた物資運搬のボランティア活動――津波で壊滅的損害を受けた山元町まで、約20キロの道のりを自転車を使って救援物資の運搬をした――は、新聞で報道され、その後「政治経済」の資料集にも収録されました。
【当時の学校ニュース(公式ブログ)から転載】
また、看護学生の実習と国家試験をサポートする雑誌『プチナース』(照林社発行)2011年7月号の特集「いま、被災地の看護学生が考えていること」に、本校看護科の生徒3名の体験文が掲載されました。
震災後、本校では「東日本大震災を体験して」というレポートを全校生徒に課し、震災についてそれぞれがどのように考え行動したかを報告してもらいました。本校を代表して掲載された3人のレポートは、貴重な震災体験の記録であるとともに、この震災を乗り越え将来への新たな決意の宣言でもあり、たくさんの人々を勇気づけるものでした。
震災で損傷した校舎の補修工事は、2012年8月から本格的に始まり、年末まで続きました。工事期間中、校舎の周りには足場が組まれ、グランドの一部が職員駐車場になりました。【下図:当時の本校ウェブサイトに掲示されていた図面】
このほか「学校ニュース」(公式ブログ)には当時の記事がすべて残っています。「月別アーカイブ」や語句の「検索」を使って、当時の記事を表示させることができますので、興味のある方はどうぞご覧下さい。